2009年01月

2009年01月31日

遊び

19階の窓から
霧をすっぽりかぶった東京風景をみていたら、
大きな鳥が目の前を上昇していきました。

驚いていたら、
「カラスが遊んでるねぇ」と、お隣さんが言いました。

話によると、気流の流れがあるとき、
カラスは、それにのって昇ったり急降下したりして
遊ぶのだそうです。

雨も降っていたので、
嘘だー、と笑っていたのですが、

みていたら、5羽くらいが
羽ばたきもせずに真上に吸い込まれていき、
突如落ちてくる。

何度もそれを繰り返して、
やはりそれは、遊んでいるようでした。

「あたし、カラス大好き。
 好きな人の耳元でチョコチョコ言ったりするんだってよ」

       宇宙人鳥

カラスはたしかに
頭がよく、好きな人から言わせれば、
とても綺麗な黒をしているという。


また天に吸い込まれていく一羽をみながら、
ヨダカだねぇ・・、と言ってみたら、
「ねー、そうだねー。」と返ってきました。

こういうのは、なんだかとても嬉しい。

     ロケット

これは昨日の出来事で、
今日はものすごく遅く起きました。
もう、雨がやんだんだ。
洗濯・・。走る





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2009年01月29日

26th

一昨日、風呂に浮かんでいると

「おねえさんさ、昨日、他行ったでしょー」と聞こえる。ニワトリ

聞きなれない声なので、何かの間違いかと思って
見回すと、おばあさんが私にむかって話していました。

よく考えたら、いつも挨拶を交わすおばあさんでしたが、
話したのは初めてでした。

        大波

― あれ、昨日は月曜日だから・・

「やっぱりねぇ!
 来ないから、やっぱしそうだと思った。
 昨日はね、月曜日だけど
 26日だからやってたんだよ。 ほら、「フロ」の日だよ! 
 知らなかったでしょう。
 人も全然少なくて、気持ちよかったわよ~」


と、大きな声でウキウキ話すので、
私もありゃ~と思いました。

       雨カエル

いつもいく銭湯は、月曜日が定休日なので
その時だけ、もう1つのほうに仕方なく行っている。


「靴箱の出たとこにさ、書いてあるわよ。
 ほら、ちゃんとみとかなくちゃー」

と言われて、帰りにみてみたら、たしかに

『26日「風呂の日」のため営業』

とありました。


次は気をつけよう、と思うけど、
こんど26日が月曜日になるのはいつだろう。

       鳥はてな

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2009年01月27日

pakkin

満員電車に覚悟して乗ったら、
その瞬間に、
聴いていた音楽が
偶然すごくきれいな和音の連続になった。

それだけで、密着している人山も見えなくなって、
体が宇宙に浮いているようになりました。

なんだか得をした気分でした。

コンビニヒヨコ

昼にかわいらしい女の子が
クスクス笑いながら来たので、どうしたのか聞いたら、
走っていたら鼻水が出た、とのことでした。

「わたし、顔のパッキンがゆるいの」
と真面目な顔で言うので、とてもおかしかった。



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2009年01月26日

バランス

その祖母が、今年初めに大手術をしたので、
この土日に、弟とお見舞いにいきました。

相変わらず頑なで、
「周りに申し訳ない」を連発する。

死んだお祖父ちゃんが
夢の中でも大掃除を手伝ってくれなかった、
と、憤慨する。

少し安心して、
弟のインドの話や、casaのこと、長野の犬の話などを
とりとめもなくしました。

貝の口のお祖母ちゃんから、
弱音がポロポロと出てきて、涙も出てくる。


私は、何度でもここにきて、
話を聞いて、そして私も話をしよう、

と思って外に出たら、昼間から雪が舞っていました。

神戸はすごく寒かった。

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口を貝

私に格言を与えた女性は2人いて、
祖母と母です。 

歌詞でも、時々引っ張り出したりすることが
あるのですが、いつでも頭の中の、すぐ取り出せるところにあります。
 
        ムービー鳥

18歳くらいの頃、大阪に住んだ。
その時が、最も神戸に住む祖母と近い時代でした。

とても綺麗で、ファッションセンスは抜群、
神戸、というお洒落な土地柄も手伝って、
とにかく、祖母は、ハイカラなイメージがありました。

私が野暮ったい格好をしていくと、
見かねてデパートで服を見立ててくれたりした。

       服天使ダッシュ

当時、関西の言葉にも文化にもついていけず、
人付き合いが、ことごとく滞っていた私は、
祖母に会う度、ヒーヒーと弱音を吐いた。

その時に一番強く言われたのが、

「ゆきちゃん、口を貝にしなさい」 でした。

そうすれば、どんなに悲しくても、苦しくても
最悪の事態は免れる、ということだった。

      雪チューリップ

私はとにかくお喋りで、なんでもすぐに信じて、
いいことも悪いことも、理解していることもあやふやなことも、
全て、誰かれ構わず喋り捲っていたので、
これに従うのは、至難の業でした。

でもなんとなくそれを心掛けているうちに、
あまりみんなが居る場所で積極的に喋らなくなった。
するとたしかに、強烈に傷つくことは、少なくなった。

      炎 消防車

今にして思えば、
この言葉には、一長一短あり、
誤解される危険性もあるな、と思う。
私は多分、当時よりもずるくなっているようにも思う。

ただ、お祖母ちゃんが
ずっとこの言葉を胸に、長崎の原爆も乗り越えて
頑なに黙々と踏ん張ってきたことはたしかで、
到底真似できないくらいの忍耐がそれを支えただろう、とは
いつも思う。

喋らないことが大事なのではなくて、
その、貝の状態のひっそりした耐え忍び方に、
その本質があるのかと思う。

いつかちゃんと、言葉の意味を理解して
身につけたい、と思うけど、なかなかどうして
到底およばない。

赤ちゃん


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